Webと自転車のはざまで

自転車と仕事を愛する男、mattaの日記のようなものです。

6:00起床 何度目かの穏やかな雪の週末、湯川秀樹博士の声を聞きながら

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6:00起床。朝食作って、女房殿を送り出して、洗濯機かけながら手抜きの掃除して、夕食のカレー作って一息入れたらやがてお昼だ。出来立てのカレーを一口と納豆を食べてから長靴はいて出かける。自宅前の除雪優先順位の3次路線は圧雪で雪国の佇まいが簡単に消えそうにない。バスに乗っても良いけど、バス停に寄り道したりバスを待ったりすると結局歩くのと時間的な差はない。

今のところ、この城下町のルーティングは豊富に取れるのでまだ飽きずに楽しく歩くことができるのだ。イヤホンからは昭和37年の湯川秀樹博士の対談番組が流れてくる。とても消極的というか厭世的な語り口は多少関西訛りなのもあってそう悲壮感もないが、内容はとても暗い。図書館で予約してあった本を受け取り、湯川博士が50代に魂の安寧を求めて読書していたという老子荘子も借りる。

帰りは金沢通勤ウォークでなじみになった片町のジャーマンベーカリーで読書。大昔、子供の頃に連れてきてもらったときには、向かい側の旧うつのみや側にあったなあ。店に入ったとたんに鼻腔をくすぐるあの甘いパンの匂いは忘れられない。この新しい、と言ってもここに移ってきてから経つと思うが、ジャーマンベーカリもいい匂いがする。席数が豊富にあるのでのんびりできるであろう。

意外だったのはお客が皆静かに本を読んだり、漢文かなにかだろうか文字の羅列にチェックを静かに入れている人もいる。日曜の午後なのに。ジャーマンと言いながらパンも大きくて柔らかく甘いパンが多い。お土産に2個買って店を出た。裏路地はまだ雪道で歩きにくいが青空も見えた。

 

老子・荘子 (講談社学術文庫)

老子・荘子 (講談社学術文庫)

 

 

 

 

6:30起床 まだまだ大雪で駅まで通勤ウォーク

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(先日の晴れの日曜の裏路地の雪)
6:30起床。寝坊でフルーツとみそ汁だけ作る。今日も徒歩通勤。写真は日曜のものだけど、基本この様相は変わらない。幹線やバス通りは雪は無いが、自宅前を含めて金沢市街地の大多数はこのような状況だろう。車が使いにくいのでバスに乗り換える人が多くて、混雑するし遅れる。ストレスの無い徒歩通勤が一番だ。多少時間はかかるけど。しかし、ゴム長は無敵だけど歩きにくいなあ。これだけがストレス。当分融雪装置は動かないだろうから、スノーターサーに戻そうか。

お隣の元土建屋さんだったKさんによれば、自宅前は「3次路線」だそうだ。ならば、もうすぐかと期待していたが、Kさんが来るとは断言しなかったように、いまだに除雪車は現れない。それもそのはずでより優先する1次路線が440㎞、2次路線が100km近くある。しばらく不自由が続くが私含めて健康な人は鍛錬だと思って過ごすしかないだろう。

道路除雪計画

6:00起床 大雪とかぜと久しぶりの青空

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6:00起床。寒波による大雪が遠因の風邪ひきで長引いて今日も寝坊。フルーツだけ作って朝食。女房殿を見送って軽く掃除してから、お正月のお飾りを持って近所の氏神さんへ行く。もうお馴染みさんになった地区の役員さんとご挨拶。燃えない橙やプラスチックは外してきたので、袋ごと左義長の炎の中に自ら投げ入れる。そのまま、すっかり根雪になった足元悪いご近所界隈を歩いて広坂へ。上の写真のように雪つりが青空に映えて美しい。しかし、もう元気がなくなって金沢駅に向かうバスがちょうどやってきたので飛び乗った。

年末から北陸らしいお天気になってしまって全く自転車に乗れない。ならば、ランニング通勤と決め込んで初めて見たがやはり無理があった。途中、電車に乗るのでブレークが入る。冷えない様に厚手の自転車ウエアを持って走っているが、電車から降りて走り出すとやはり冷えてしまう。電車の中で着替えることはできないし、トイレに入ってまでとも思って無精して冷えるままにしていたらちょっと風邪気味に。

一旦、治って今度は大雪による電車の遅れが災いした。金沢駅ぐらいの大きな駅なら温かい待合があるが、七尾線の小さな駅は夕方になるとストーブの火が消える。今か今かと電車を待っていると間引きの憂き目にあって冷えた。バスもふきっさらしの停留場で10分遅れてまた冷えて、得意の熱めのお風呂による温熱療法も電気温水器に代わって温度の調子がわからなくてまた冷えて元の木阿弥。

しっかりしたお風呂温度計を買おう。冷えないしっかりした方法を見つけるまでラン通も自粛かな。当分この雪が残って道も悪いだろうし。

 

6:00起床 今季初ラッセルラン 炊飯器でブリ大根

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カーテンを開けると外は予想外の銀世界。でも10㎝ぐらいかな。まだ気温も低いし、スノーターサーで雪ランできるかも。女房殿を送りだして、手抜きの掃除をして9時ごろフルの雪装備で出発。雪はまったくやむ気配がない。近所の犀川河川敷に出ると、普段の日曜ならランナーで賑わうところであるが、今日は人っ子一人見当たらない。それでも、早朝犬を散歩した人の足跡が残っているので、これをトレースするように川下へ下る。

心拍計がおかしくてすでにレッドゾーン。ただ、負荷がかかっていることは間違いなくて、気温0℃近くでも息が上がって汗も出てきた。その間に雪がずんずん積もってひざ下10cmあたりまで達するようになる。足跡も少なくなってそろそろ轍の車道でも恋しくなってきた。若宮大橋で折り返して犀川大橋にたどり着いたところでギブアップ。片町のアーケード街をジョグして歩いていると急に寒さを覚えてきた。

しいのき迎賓館裏でまたラッセルして温まったが、広坂界隈の車道歩道とも融雪水でどろどろ。観光に来た方も気の毒だ。雪なら強いスノーターサーも融雪水にはお手上げ。凍える足先に耐えながらスーパーに寄って買物してから帰宅。熱いシャワーがありがたい。

夕方はスーパで買ったぶりのあらでブリ大根を作る。お酒が無くて赤ワインを入れると色どり悪くなったけど、味はまあまあかな。 

6:00起床 河北潟一周駅伝 応援

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寝坊。休みの合った女房殿と河北潟一周駅伝の応援に行くつもりだけど、パラパラと自宅のトタン屋根を叩く音。予定ではかほく市あたりでデポしてランで応援に回る予定であったが、天候が怪しいので車で応援することにして、スタート会場の津幡町役場に向かう。

この駅伝は今年で97回大会。聴くところによると、箱根駅伝が始まった年と同じ年に初回大会が開催されたらしい。箱根が戦時中の混乱期に数回中止になった一方で、こちらの河北潟1周は1回だけの中止で開催回数としては日本一の伝統を誇ると言っても良いだろう。しかし、会場は閑散としていて見慣れた役場の風景とあまり変わらない。

しかし、駅伝のタスキをつなぐという使命をかけて走る選手の意識はかなり高い。お知り合いの自転車仲間も多数参加しているし、応援のし甲斐もあることだ。小雨ぱらつく中、第1走を見送る。カテゴリは全区間36㎞を6区に分けてタスキをつなぐ、一般と高校生の部が15チームと1チーム、そして同じ距離を11区に分ける中学生・同好会の部が20チームで総勢36チームである。

コース上には固まってもそれだけの数だからか、大きな交通規制はない。また休日だから多少車は少ないけど、通常通りの往来。しかし、選手をスムーズに流すためには要所要所の交差点には警察の方、ちょっとした車の出入りがある交差点やショップの出口にはボランティアの方が寒空の下、交通整理に当たってくださっていた。

津幡からかほくへはほぼ平坦であるが、かほく市内は河北台が選手の前に立ちはだかる。そして高松から南進に転ずると向かい風。マラソンと違ってこちらが応援していても、選手側にはそれにこたえる余裕がなく、必死にコースと風と戦っている形相。レースの様子は地域のFM局で生中継されているが、慣れていないせいか残念ながら要領を得られていないので、レースの情勢がよく読めない。

ゼッケン番号は必要ないから、簡潔なチーム名だけは頭に入れてもらって、どこで、どのチームが、何位でタイム差がどれだけなのかを教えて欲しい。というのは、記録が残る繰り上げの制限時間が、トップチームが通過してから20分から30分に延長されたからだ。タスキがつながるかどうかは駅伝の肝。それにかけて練習している仲間のアクティビティはSTRAVA等で見てきた。

結果首尾よく、お友達のチームはタスキがつながり記録が残ったようだ。50年近くこの近辺に住んでいてこの大会に生で触れたのは中学生の時だけだった。ただ、あの40年前の雨の中を走ったのはこの大会だったのか、それとも別の大会だったのかは正直記憶がない。実際今回大会も中学生のカテゴリがあるのに参加チームは無かった。このカテゴリーを残しているのは古くからこの大会を支えている役員の方の思いなのか。

このこじんまりとした大会が、記念すべき第100回大会として成就されるのは東京オリンピック2020の年。そして、次の100年につながるか。来年は少しはお手伝いさせてもらおうかなと思う。

6:30起床 山側環状の歩道

今朝は完全に寝坊。未明には道路を真っ白にしてしまうほど霙も降ったし、もう冬も間近な様相。昨晩、新しく開通した山側環状の金沢方面に向かう神谷内トンネルを車に乗って帰宅した。まだ、片側一車線で来月9日に2車線になって本格開通するらしい。トンネルの進行方向左脇には広めの歩道がしつらえてある。

工事中のときから、ちらちらこの歩道が見えていたがこれなら自転車で走れる。しかし、卯辰トンネルのようなアクリル板?のようなシールドはない。車の排気ガスにさらされるのも嫌だけど、ここを通るであろう高校生たちと離合するのはもっと嫌だなあ。それでも、興味を抱くのは通勤ランのルートとしての用途。いまだに自宅のある金沢と津幡の間を通勤ランしたことがない。

その主な理由は15、6kmと通勤ランには少々覚悟がいる距離とルート上の東山から鳴和までの歩道の狭さだ。ここでも高校生の暴走自転車と離合しなくてはならない。それが、新しい山側環状の歩道で解消とまではいかなくても随分軽減されるのではないか。来月がとても楽しみだ。

7:00起床 体育の日 昨日の獅子舞

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昨日の町内会の獅子舞巡行と久々のランで疲労したのか、すっかり寝坊。女房殿の朝餉の支度で目が覚める。でも、ようやく先週のマラソンの疲れも抜けてすっきりしたかな。

この町内会の獅子舞は最近復活したそうで、獅子の胴体の唐獅子牡丹が真新しい。染め上げてくれた近所の旗屋さんも江戸時代の町屋の風情で、古式ゆかしいかってのこの町の分業体制を想像できて楽しいね。本当は朝から準備があったようであるが、並行して開催予定の避難訓練のサイレンまでと朝寝していたらすっかり寝過ごしてしまう。10時過ぎに初穂料を持って氏神さんの秋の祭礼に行く。春同様太鼓たたいてもらって玉串もささげてさせてもらう。

一旦かえってから午後からまたのこのこ氏神さんへ。今度は大勢の人が集まっていて、春に越してきてからずいぶん顔なじみも増えたことだ。誘ってくれたO本さんから、白い真新しい法被を借りて祭りに参加する意識がぐっと高まった。神社の社屋では出発前のお祓いが行われている模様。さあ、出発かと思いきや。地域間交流のある辰巳のこんころ太鼓の演舞の披露があった。

「こんころ」の名を表すように太鼓をたたくバチが短い茶筒大の円筒形。これを手にもって踊りながら太鼓をたたく。小さな子供から勇ましい大男、そしてユーモラスなふとっちょクラウンのような叩き手もいてとても楽しい演舞だった。踊りのなかに自転車仲間のI村さんらしき人を発見。ジャージ日焼けの痕で彼氏であることを同定。普段寡黙な彼が、魂を解放させるように太鼓をたたいている様に感銘を覚えたなあ。

さあ、今度はわが町内会の獅子舞の出番。まず、かわいらしい小学校中学年から高学年ぐらいの巫女さんだろうか。自ら振るう涼やかな鈴の音に合わせて一舞。そして、勇ましい獅子舞が始まった。なぎなたを持つ振り手は中学生からいつも行事に熱心に参加してくれる40代のSさんまで4人位だろうか。様々な型や長いなぎなたを持って高くジャンプする技など日々の練習の成果かうかがえる。最初はラジカセのお囃子がとても寂しく感じられたが、うるさくないし観客の反応も良く分かるのでこれはこれでありなのかもしれないね。

これを各町会の事前に決められたスポットで繰り返すルーチンである。この町会は軒と軒が連なるような家が形なしている。通りも狭く、お神輿や獅子が旋回したり通り抜けるのも精いっぱいの路地のようなところもある。時折、お金の入った花を持って出てきてくれる人は年配の方ばかり。終盤は、新しい家がたくさん建った界隈を巡行。案の定、家からできてきてくれる人も少ないが、中には夫婦連れや家族で見てくれる人もいるので、きっと来年につながるはずだ。夕闇迫る18時近くに氏神さんへ。町内会の重鎮に交じって末席でお祓いを受けて、また玉ぐしを捧げた。今年は何度玉串を回したことだろうか。

藤棚白山神社獅子舞保存会のみなさん