Webと自転車のはざまで

自転車と仕事を愛する男、mattaの日記のようなものです。

6:30起床 のんびりサイクリング

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6:30起床。勤めに出る女房殿を送り出してから、少々宿題というか女房殿から出された課題。ツールは普段使っているものだけど、久々に表計算を扱うから少々戸惑う。だいたい構想は固まった。あとは作るだけなんだけどお天気がいいのでサイクリングに行くことに。下りは冷えるだろうから普段の冬装備に加え、インナーウォーマにウインドブレーカを装着。バラクラバまでいらないでしょう。辰口ダムから瀬領を経由して湯涌、見上峠へ向かう。お日様が照り付ける見上峠までの登りは春のような陽気。ウインドブレーカはもちろん、インナーウォーマもグローブもバックに格納して、前をはだけて気持ちよく登れた。後でSTRAVAで確認したけど、こんないいコースを今年は誰も走っていないようだ。

ゴミ処分場経由でいつもの山寄ジテ通コースへ。いつもはパスする旧北方郵便局の局舎で写真を撮る。いつ頃まで運用されていたのだろう。二俣には現行の郵便局があるから、こちらは当時から簡易郵便局だったのだろうか。それにしても建物は大きい。きっとこの界隈は豊かな山林農地によって栄えていたのであろう。いまは台風が吹けば倒れてしまいそうな佇まいではあるが。

内山峠まで上がったところで、小矢部でリンゴパイ買ってくることを思いつく。途中、ウメちゃんたちの焼肉ツアーのご一行と出会うとすぐにうの花農園の販売所に到着。愛想のいいお母さんとの会話も楽しい。リンゴパイは買い占めず1個だけ残す。おまけにもうシーズン終了だというちょっとキズの入ったリンゴを2個もらって帰路へ。

お腹が空いてきて、不動寺PAのラーメン目当てで激坂を上るが自転車のロックを忘れてきた。カギなしではこころ穏やかにラーメンもすすれないだろうからそのまま引き返して森本経由で家路を急いでいたら焼肉ツアーのパンクブレークに追いついた。なんとNさんの下ろしたてのコンチネンタルグランプリ5000がざっくりトレッドが切れていた。4000愛用者の私も次はこれと決めていただけにちょっとショック。

もりの里でご一行と分かれて、おなかが空いたので超久しぶりにほか弁でのり弁を注文。出来立てが300円。私が学生時代に保谷の銭湯の横にあったほか弁は270円だったはずだったからやはりデフレなんだろう。

6:30起床 クイーンとエリック・クラプトン1

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6:30起床。寒いせいかまた寝坊。しかし、昨晩は月光の下、のんびりランニングを1時間できたおかげかぐっすり眠れた。そして快便。とても気分がいい朝。お正月は映画を2本見た。すっかり大ヒットの「ボヘミアン・ラプソディ」、そして地方では話題にもならなかった「エリック・クラプトン 12小節の人生」の2本。

ボヘミアン・ラプソディの方は封切初日に行く気満々でいたが、たまたまお休みがあった女房殿と夕霧ランをしたら全く力が出なかったらしく、意気消沈の彼女をあまり興味の無い映画に連れて行くわけにもいかず、その計画も立ち消えになってしまっていた。しかし、映画の方はあれよあれよという間に快進撃が続いてすっかり話題の映画となってしまっていた。

そうなると、逆に行く気を失っていくのがあまのじゃくの私。その一方で、興味を抱いて連れて行ってくれとせがむ女房殿のリクエストに、ようやく重い腰を上げて映画館に連れて行ったのが年末年始のお休みだった。SNSなどを眺めていると、終盤のライブエイドのクライマックスに向けて「胸アツ」との感想が多いようであったが、私は序盤のKeep Yourself Alive のレコーディングシーンでぐっときてしまって、半泣き状態。フレディの苦悩の日々には泣けてきたものの、ライブエイドの前後関係やバンドの実態をリアルタイムで見聞きしてきたファンからすると、あの過剰なまでの演出のあのライブシーンには、若干興覚めてしまっていた。

ライブエイドのあの年の東京で前後して、5月にクイーン。10月にクラプトンのライブを聞きに行った。クイーンはライブエイドに勝るとも劣らないパフォーマンスだったが、クラプトンには少々がっかりした。ライブエイドが良かったから期待していたのに。アル中だから仕方ないと友達から聞いて一層がっかりしたことを思い出した。だから、あの暗い時代がどのように描かれるのか。「12小節の人生」ではそこに期待して一人で観に行った。

 

6:30起床 休日のお出かけ 寒ブリ祭り

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 6:30起床。久しぶりに休みの合った女房殿と早朝ランのつもりであったが、若干雨模様。のんびり朝食いただいてから昨日目星をつけていた能登町宇出津の寒ブリ祭りに向けて車で出発。近年、こちらへはツールドのとやのと一ブルべなどで比較的頻繁に訪れるが車で来たのは今世紀に入って初めてではないだろうか。能登里山海道から先の珠洲道路両サイドには結構な積雪。金沢から2時間ほどで到着。結構時間がかかった。駐車場確保に迷走。

なんとか見つけて会場入りした時には、お目当てのブリの解体ショーは終了していて、地元の方だろうかビニール袋を手に早々に会場を後にしていた。こちらは今からがお楽しみ。しかし、ふるまいのブリのお刺身の行列は長蛇の列。ブリの汁物?の列も同様なのでふるまいは早々にあきらめて、女房殿が目にも旨そうな海鮮丼の列についた。私は偵察として、他の行列が緩そうな出店を回る。まず、甘酒を購入して行列待ちの女房殿に補給アシスト。また、行列偵察に向かうが結局ブリにはありつけず、イカの焼きそばとお寿司だけ購入。

海鮮丼待ちの女房殿は忍耐強く待っては見たものの、2列前で「ご飯ぎれ20分待ち」と宣告されたらしくて忍耐切れ。その後も焼きガキの列についたが一向に行列が進む気配もなく、結局ブリもカキも諦めた。どっと疲れてテントの中で子供連れの親子と仲良く席を同じくして、同じくブリではない唐揚げやらパンやらお寿司などを突いてようやく空腹を満たすことができた。

帰り際に宇出津のスーパによると、立派なブリが豊富にあって切り身やお寿司などすかさず購入。持ち帰ったブリは脂がのってとても美味でした。さすが能登寒ブリ。どうやら大寒を過ぎるとただのブリに成り下がるらしいが。帰りの道中はこちらの運転疲れで私のリクエストの能登国分寺博物館はボツになり、女房殿リクエストの中能登町のパン屋さんと千里浜の道の駅に寄ったが、邑知潟のこはくちょうの大群が圧巻だった。

寒ブリは来年、普通の休みの日に食べに来よう。

6:30起床 穏やかなお正月でした。ことしは「ゲンキ」に!

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連休中は新年会三昧。左の写真は、金沢の神社さんの奉賛会の新年会で叩かせてもらったサクラでできた拍子木。キンと気持ちよく残響が残った。持ち主の幹部のyさんがいい声で相撲甚句を披露してくれた。次の写真は見上峠の雪で凍った池だけど、道路に雪は全くなし。菱沼の登りは春の日差しを浴びていい汗かけました。真冬にこのルートをサイクリングできるとは思わなかった。右の写真は昨日の新年会へ行く道すがら寄った黒門緑地の旧高峰家の縁側。昔、里帰りした松江の祖母のうちの匂いがしたなあ。

これで、お正月も本当に終了。年末から公私ともに忙しい日々であったが、元旦からお天気に恵まれたおかげでランの外走りもできたし、自転車も2日ほど乗れたのでリフレッシュできた。そして、年々年を重ねていくうちに体力的にも精神的にも無理が効かなくなってきていることを実感。休めば足が軽くなるということもなくなってしまって、休めば休むほど衰える。

だから、今年も仕事も運動も無理なく続けることを心がけよう。時々、勉強会や筋トレで刺激を入れながら。若い人たちの活躍で、周辺の仕事も趣味の自転車もレベルや質が変容しているように思える。もちろん、好ましい変容なのだがここで私が何ができるのか。一緒に汗をかくのも楽しいが、もっと違ったかかわり方ができるのではないかな。

社会人として歩んできた平成時代は今年で終わる。正直、あっという間だった。これからの時代の30年もあっと言う間かもしれないが、人生の終盤に向かって実のある生き方をより意識していこう。先の新年会でyさんの挨拶にあったように次の時代は「ゲンキ」がカギではないかという気がしてきた。おもいつくままに字を当てはめると元、源、現、巌、、、。気、期、機、喜、貴、帰、、、。様々なイメージがわいてくるなあ。ともあれ、元気に1年過ごせれば言うこともないのだが。

5:30起床 福島出張 吾妻山

5:30起床。2泊3日の福島出張も最終日。昨日に続き早朝は、雨上がりの朝になりそうな雲行きでランもできそうであるが、また暗闇を見知らぬ土地で行うには少々リスクが伴うと言い訳して、PCを立ち上げた。そして、今朝もホテルの大浴場。昨日今日と朝ぶろに入ったせいか気持ちよく仕事をこなせた。女房殿が時々朝にシャワーを浴びているようだが、私も朝練以外の日も浴びてみようかな。

ホテルを出て、お客さんに迎えに来てもらった車で現場に向かう。昨日同様スッキリ晴れている。日本海側と異なり空気中に水蒸気が少ないせいか遠くのお山も良く見える。朝日を浴びた富士山のような美しい造形のその山は吾妻山。それを引き立てるように取り囲む低山には霧氷が掛かって独特のグラデーションを描いている。

太平洋側に向かう道路は震災以来かなり整備されたらしいが、比較的混んでいて時々渋滞を起こすこともあったが、除染活動が活発であった一時期ほどでもないらしい。仕事の方はプロジェクトメンバーの健闘のおかげで、発展的な課題が表出しただけで大過なく終えることができたと思う。素晴らしいのは上は団塊世代から20代の若者までのまんべんのない世代のメンバーで構成されていたこと。人財育成に投資を惜しまない姿勢は見習わなくては。お土産は日本三大饅頭の筆頭「薄皮饅頭」と「ままどおる」と女房殿から命じられていたからお土産屋さんでに突進したが、何のことはない。この二品が出店を出していて山が二つになっていた。

帰宅してままどおるを早速いただいた。福島の純朴な人たちの顔が浮かんだ。

6:30起床 ローマンへオーバーホールお願い往路

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日曜の朝は寝坊。慌てて朝食の準備してのんびりご飯を食べて、勤めに出る女房殿を見送ったら、ご近所のS田さんがロード姿でお山へ向かうところ。10時半ぐらいには奥様とお約束があるらしい。私はまたのんびり長く走る予定。私のRIS9についたキシリウムをご覧になってメンテをしてあげようと申し出てくださった。そうだ。このRIS9はオーバホールに出すんだった。S田さんも見送って、今日は絶好の遠乗り日和。富山のローマンに自転車で行こう。S田さんにはもう一本のキシリウムSLのメンテをお願いしよう。

 旧8号線経由で富山へ。日陰は凍りつくようだが、日向ならポカポカ。風もほぼ無風なのでのんびりだけど、快調に天田峠越え。小矢部からは上使街道のK9に入る。しばらくぶりのこの道だが拡幅は思ったより進んでいないようだ。それでも車は少なくて走りやすい。常国周辺で旧道への入り口を見落としてK9をロストした。しかし、広い通りのK58にはバイクレーンのブルーラインが引かれていて走りやすい。自転車先進県の真骨頂。片道2車線の幹線道路に素晴らしい。

太閤山を過ぎてブルーラインに沿っていけば良いのに呉羽トンネルに入ってしまって、ここからは本当の幹線で車がビュンビュン。たまらなくて富山大学、富山大橋経由で市街地へ入ってローマンへ。バイクを託してオススメの東華園へ。お昼前なのにすでにお店の前は行列。しばらくして中にいれてもらえた。年季の入ったお店定番は麻婆茄子のようだが天邪鬼なので唐揚げ定食にした結構待たされたが、ボリュームたっぷり味も意外と薄味で残らない良いお味。帰りのバスまでには時間があるのでほくぎんさんのギャルリミレーを見学。

ショップが遠くになってしまったが、都市間移動を自転車で行って帰りは直行バスでのんびり帰れるのは嬉しい。後半はグルメにしてアルコールを嗜んでも良いだろう。復路はそんなわけには行かないが、凍える朝にスタートする必要もない。一日の後半に腫れることもあるだろうそんな時に引き取りにいけば半日楽しめる都市間サイクリングになるかもしれない。

東華園
〒930-0036 富山県富山市清水町3-6-14
800円(平均)800円(ランチ平均)

6:30起床 ひさびさにのんびりサイクリング ブーちゃんのウエディングパーティ

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6:30起床。寝坊。昨日は掃除もしたし、今日は1日フリーとなってのんびりサイクリングに行くつもり。負荷を上げないLSDの予定なのでフルーツだけいただいて、勤めに出る女房殿と一緒にウチを出た。図書館で本を返して武蔵にでるとピストでカッコよくジテ通してきたN川さんと出合う。私は森本からきれいに舗装されたおやじ朝練コースをたどって、R359内山峠経由で砺波へ向かうがちょっとお腹が空いてきて補給。ここはなんとか糖質カット。

しかし、登りはやはり消耗するようで筋内グリコーゲンがみるみる減っていく感じ。ペースを落として炭酸水だけでしのぐ。春先にコナさんに教えてもらった県道で砺波平野を突っ切る。県道は走りやすいが一歩R156に入ると車が多くなってくる。足繁く通って最適ルートを探索する余地は十分あるな。

早く、氷見のお山で癒されたい。ようやくなじみのR29で勝木原への登りへ。途中「田舎のたまご屋さん」によってだし巻き卵を調達するつもりが売り切れ。シフォンケーキはトレラン用のバックには入らないので断念。それでも元気に赤毛トンネルまで来たがここで終わった感じ。羽咋へ抜けるR415にとりついた時点で足に力が入らない。仕方がないので女房殿にもらってお守り代わりに持っていたカーボショッツで一息ついた。そして、定番のか神子原の売店で糖質三昧。ジビエのコロッケも良かったが、意外とふんわりで美味しかったのは米粉のロールケーキ。

あとは定番の宝達周辺コースで帰路へ。補給を取って力は出るが向かい風がひどくて、かほくの寿し弁で天そば休憩してジテ通コースでほぼ一直線で帰宅。今晩は自転車友達ブーちゃんのウエディングパーティにご招待されている。急いでドレスコードのジャージを探すが見当たらない。夏ジャージは衣替えで片付けてしまったのか。仕方ないのでカッサーノのキャップだけもってウチを出る。会場へ向かうバスが武蔵に差し掛かったところで、またピストに乗ったN川さんを発見。窓を開けて声をかけた。

ブーちゃんと出会ったのは、いつだったろうか。以前、書いていたブログに記録があった。私が企画した能登ライドに参加してくれたんだった。もう12年前。当時は線の細いあんちゃんのような印象だったが、能登和倉マラソンがフルになったとき、先頭に近い集団で折り返してきたときにはとても驚いた。それから、快進撃は続いて体格も筋骨隆々りっぱなアスリートに。しかし、そこに至るまでは故障の苦労が続いたことは伝え聞いていて私も陰ながら心配だけはしていた。

matta.air-nifty.com彼の素晴らしいは、ケガにめげず続けたこと。先のロングの後も地元の自転車レースには必ず出ていたし、早朝、自宅のあるかほくから金沢の朝練にも毎回。おそらく、私が直接は見聞きしていないランもトレランもトライアスロンもウルトラも私設変態ライドも、SNSを通じてだけど漏れ聞いていて、これまた陰ながらだけど応援はしていた。そんな彼が良き伴侶に恵まれて身を固めたことは、友人誰もがとても安心したことだろう。イノキちゃんよろしく頼みます。陽気なブーちゃんらしいとても賑やかでいいパーティでした。ブーちゃん本当におめでとう。

帰りにサボテン食堂によって、フーちーちゃんと祝杯を挙げた。The Weightの日本語訳は歌ってみたいな。